meta-creation_date: 2006-10-08T00:00:00+09:00
今回は、第1〜8話に出てくる翻訳ポイントについて解説します。
1話 / 3話 / 5話 / 6話 / 7話 / 8話 / おまけ・質問コーナー
【君長】
河伯郡長の娘 → 河伯君長の娘or河伯の長の娘
本来、「郡」は中国の支配体制です。漢はそれを朝鮮半島にも置きました。当時の「郡」は楽浪を含む4郡以外にありません。「郡」はヘモスや朱蒙が戦う相手です。
<「君長」で統一しました。>
【その他】
迷った単語、どなたかアドバイス&承認を。
【鉄器房】
山崎さん、364番の「鉄器房(たぶん)」の存在が、どんなものか分かりますか?国の武器庫か?鉄器商(屋)か?
鉄器房は、工房のことではないでしょうか。 工房、もしくは鉄器工房かと思われます。
以上の3つの点から考えて、工房でよいのだろうと思います。
<満場一致で「鉄器工房」と相成りました。>
【迎鼓祭】
「迎鼓祭」は「収穫祭」にしました。
#3に出てくる迎鼓祭は、中国の史料(『後漢書』東夷伝)にでてきます。陰暦12月の祭天。 連日飲食歌舞が行われる。 刑獄を断ち、囚徒を解き放つ。軍事あるときは、祭天・殺牛の祭りが行われて、その吉凶を占う。 12月に行われることもあり、「収穫祭」とはまた少し違います。 なお、高句麗には10月に祭天大会が行われたり、「隧道神」を迎える祭りがあったりします。 大穴に住む鬼神のことです。
<最終的に「迎鼓祭」のまま字幕にしました>
【夫人】
金蛙→柳花の二人称「プイン」をどう訳すか迷っています。
「夫人」でいいと思います。 「夫人」も「皇后」も王・王子の妻に与えられる名称ですが違いがあります。 「皇后」は、 天皇・皇帝の正妻。 おきさき様のことです。 一人しかいません。 「夫人」は、それ以外の婚姻相手。 ちなみにYahoo!辞書で「夫人」を引くと以下のとおり。
夫余国の王は皇帝ではなく、諸王。 基本的に正妻を「皇后」と呼ぶことはありません。 呼ぶとすれば、「王妃」「元妃」など。 今後、出てくるかもしれません。 #3-149番は、「太子」時代の話。 その妻はまだ王妃でもありません。 したがって、何らかの呼称を用いるとすれば、ここは「夫人」でよいかと思います。
<最終的に「夫人」のままで字幕にしました>
【チョンマ山、スミ山】
歴史関係で少し悩んだのが、地名:ちょんまさん、すみさん
カタカナにしませんか?天馬山、天摩山などは韓国内にありますが、高句麗の地域のものは不明です。
チョンマ山→史料にみえません。 スミ山→須弥山(?) 須弥山は、もとは仏教用語。 本来なら夫余・高句麗に仏教が伝わってないこの時期に存在しないはず。
<最終的にはカタカナで出しました>
【太子に冊封される】
69は「太子への就任まで」とかいかがでしょう。 聖徳太子に関する記述に「就任」が使われているようで。
任さんのおっしゃるように「太子になるまで」がいいかと。 ちなみに、「冊封」は漢の皇帝が、夫余国の王・王妃を正式に任命することを言います。 ここでは、王太子をクムワが推挙・決定することを言っているようですが…。
<最終的に「就任」「任命」と訳しました>
【その他】
獄舎長、演武場の上手い言い換えはないか? (翻訳者の仕事ですね)
<最終的には「獄舎長」はママ、「演舞場」はその後「錬武場」ではないかという意見が出て、そちらの漢字をママ出しました>
【冶匠・大匠】
朱蒙がモパルモのことを「テジャン」と呼んでいますが、「大将」?「隊長」?「大匠?」
音が同じだし、日本では目上の人を「大将!」と呼ぶこともあって、絶妙にマッチしているのですが、7世紀の新羅の史料にすでに「大匠」という言葉が見えます。 その後も、工匠のリーダーを指して「大匠」といったようです。
現代韓国語では「大匠」は使われておりません。 私が持っている国語の辞書、ネットの辞書にもこの漢字の単語は載っていませんでした。 「大将」でしょう。 日本語には「大匠」という言葉がありますが、これは呼びかける呼称としては使われないような気がします。 親方、ボス、ドン…。 モパルモが自分のことを「ヤジャン」というのは林原さんの言った通り「冶匠」です。
最後に、「大匠」と「大将」についての任さんのご指摘ですが、モパルモに対する呼びかけの言葉なので、「大将」でいいと思います。 ちなみに、「大匠」は新羅の皇龍寺から発見された金石文に確認出来ます。 7世紀頃には王の統率下に組織化・制度化された工匠集団がいたことが分かります。
<最終的には、朱蒙がモパルモに呼びかける時は「親方」、モパルモが自らを指して「冶匠」といった時には「鍛冶屋」、金蛙ら第三者がモパルモらを指して「冶匠たちを督励し…」と言った時には「職人」と訳し分けました。>
【皇・王】
全体を通して、皇室・皇帝・皇位・皇后・皇太子・皇子と、王室・王・王位・王后(王妃)・太子・皇子の混用が見受けられます。 劇中ですでに前者を基本にしながらも混用があるようなので仕方ないと思います。しかしある程度統一した方がいいのかもしれません。 歴史的にみれば、基本は以下のとおりです。
※中国の皇帝制度と日本の皇室制度の影響から、韓国にも皇帝がいたという認識なのでしょうが、歴史的には大韓帝国の高宗のときだけです。 もっとも世界の中心はオレの国だという中華思想はどこの国も持っているので、自国の王を「皇帝」と呼ぶこともありました。
【臣女】
385 臣女 → 神女
「臣」は基本的にみんなオトコです。 君主と臣下にとって、ヘテロな関係は基本的にありません。
<「シンニョ」は「神女」、「シニョ」は「侍女」で統一しました。>
【客店】
客店は、商人の活動拠点になっている家のことです。 城内の街区にあって、商品の保管、商人への情報・寝食の提供なども行います。 お店ではないです。
<「宿」「根城」「巣窟」などと訳し分けました>
【叔父】
宮廷使者は王妃に「お兄様(オラボニ)」と呼ばれます。 その子、帯素にとっては「伯父(クナボジ)」になるはずですが、なぜか「叔父(スップ)」と呼ばれています。 現代韓国語では「伯父=クナボジ」も「叔父=チャグナボジ」も「叔父(スップ)」と呼ばれるようですが、当時の用法については私たちもうかがい知ることができません。 ゆえに「スップ」という音声に「伯父」という字幕をつけるのは、はばかられます(現代劇なら構わないのですが)。 ご了承いただけるのなら、音声に忠実に「叔父」と訳させていただければ幸いです。
<最終的には「叔父」のまま放送されました>
私の妻が朱蒙を見て疑問に思ったことがあるそうです。 「朱蒙」では床に座るシーンがほとんど出てきません。金蛙に謁見した延陀勃でさえ、小さな椅子に座っていたとか。 床に座るようになったのは、時代が経ってからなのでしょうか。 ちなみに、朝鮮時代が舞台のドラマ「商道」では、都房の部屋で話し合いをする時は床に座っていましたが、客店などの現場では椅子に座っていました。 教えて!山崎先生。
「椅子」に関する質問ですが、僕も気になっていました。 ちょっと調べてみました。
世界遺産にもなった高句麗の壁画古墳には、当時の生活の様子を描いたものや、墓の主や臣下の姿を描いたものがあります。 その中にあるんですね。 長川1号墳という壁画古墳のなかに、僧侶か道士と思われる人が椅子らしきものに座っている様子が描かれています。 その姿は、韓国で復元されているようです。 高麗大学博物館の資料に載ってました。 しかし、墓の主たちは、椅子を使っていません。 宮廷の女性たちも使っていません。 金蛙が座っている玉座などは、壁画古墳に描かれた様子をモチーフにしたものだと思います。 不得不の朝服とか、武人の武装した姿はまさにそうです。 でも、この当時、まだ椅子の文化は定着していないのですね。 というよりも、中国でも魏晋南北朝時代にならないと椅子は入ってこないようです。 しかも、『胡床』などと呼ばれていたようです。 『胡』は西域の人や外国人のことを指す言葉です。 椅子文化は、漢人社会にとっても、外来の文化だったようですね。
(第2回は以上です。来月もお楽しみに。)